戒名とは?
戒名とは、端的に言えば仏界(浄土)でのお名前です。
娑婆世界で名前が必要であったように、仏界においても相応しいお名前をお授けいたします。
その方の人生、生き様を表現して後世にも遺す、素晴らしき無形文化だと思っております。その方が眼前に現れるような名に出来るよう、僧侶として全身全霊必死に考えます。
その際に、その方が「好きだった/好きなもの」をお聞きします。
音楽であれば、歌手や曲。絵であれば、画家とジャンル。映画であれば、タイトル。旅行であれば、場所。生涯をお聞きして、小さな同じ疑似体験をすることで、その方と自分が重なり、心が一層こもります。
そして、戒名を授ける際に、改めて「日本語/中国語」の恩恵を預かります。漢字ほど多くの文字数を有する字(言語)はなく、1つの字で多くを表現できます。その方の人柄、生き様、想いを表現するのに漢字という文字は最適であると考えております。
私たちの名前は、誕生と同時に命名されるものがほとんどですから、多くはその時点での「未来」に対しての想いや願いが込められています。
一方、戒名はある程度の人生を歩んだ上で命名するため、そこには過去と現在と未来が交錯します。ですので、戒名を命名する際には、その瞬間だけにご家族や本人が喜んでいただくものだけを考えるというよりも、100年後に子孫や有縁者がその戒名を見たときに
「自分の先祖はこんな生き方をされたんだ」
「うちの家は、この字を大切にしているんだ」
「あの人は、こんな人だったんだろうな」
と、眼前にその方が浮かんでくる程の名前を授けなければと思っております。その方の、考え方、生き方、趣味、思考、哲学、些細なことでも聞いて、そこから湧き出てくる適切な字と言葉を選択します。その戒名が良いものだったかどうかは、100年後にわかるものなのかもしれません。
なぜ、戒名をつけるのか?という問に対しては
「あの世で仏弟子になるための名前」という教科書的な回答だけではなく故人の生涯を反映して後世に遺せる最適なものであるから、戒名を授与することが必要であると考えます。
生前戒名について
普賢寺では、生前戒名をすすめております。
お葬式の際に授与するもののと考えられがちですが、本来は生きているうちに授かるものでございます。字の如く、戒を授ける名であります。またの名を法号と言います。
「戒」と聞くと、縛られて厳しいイメージがあるかもしれませんが本来の仏教における「戒」は、しあわせに向かって歩むためのものでもあります。煩悩や我欲などは、人間である以上は必ず発生するものであります。しかし、それを煩悩と認識して、燃え盛らないようにすることが出来るかが仏道にとっては非常に大切です。その時に必要なものが「戒」となります。「戒」は、心のコンパスにもなる大切なものでありその戒を身近に、自分のものにしたものが戒名となります。戒名を法号と呼ぶのも、仏法に則っているからでございます。
戒名が決まりましたら、「授戒会」という授与するための式を執り行います。
また、生前戒名の利点は次のように言えると存じます。
・新たな人生を歩みはじめられる
・安心できる
・相談して納得した戒名になる